数年前の夏、私の部屋のテレビが突然見れなくなりました。
厳密に言うと、テレビチューナー付きのPCでテレビを見ていたのですが、猛暑のなか窓際に置いておいたせいでクラッシュしたのか、映像が映らず、音声がとぎれとぎれの状態になってしまうのです。
しかし、PCのその他の機能は健在で、YouTubeもAmazonPrimeも見れます。
修理に出すのも、買い替えるのも億劫なので(元来面倒くさがりの性格でして(汗))、しばらくテレビ無しの生活でガマンしていると、日々の生活のなかにちょっとした変化が訪れました。
「テレビがなくても全く困らない」ということに気づいてしまったのです。
夜中までザッピングすることもなくなり、早寝早起きの生活になり、朝のゆったりとした時間に散歩やストレッチをして身体が絞れ、就寝前は本を読む時間をとれたり、どうしても勤務時間では終わらなかった仕事を持ち帰ってもサクッと片付けてしまえたり、とにかく生活に「余裕」と「平穏」を取り入れることができたのです。
オリンピックもワールドカップもWBCもLive観戦できなくても、それはもともと私の人生とは縁遠いものだったわけです。
そして、YouTubeを見る時間が増え(これには一長一短あると思いますが)、ふと出会った竹花貴騎さんのチャンネルの「時間」についてのお話が刺さった訳です。
仮に、これまでテレビを見ていた時間がムダだったとすれば、物心ついてからゴールデンタイムの午後7時からだいたい平均して午後11時までの4時間ぐらいは毎日テレビを見ている、休日はもっと見ている、といった方は多いのではないでしょうか。とすれば、少なくとも4時間×365日×45年(私の場合)=65,700時間、これを365日×24時間で割れば、まるっと7.5年をムダにしたということになります。時はカネなりといいますから、小学校の6年間以上をお金をドブに捨て続けた、シュレッダーにかけ続けた、暖炉で燃やし続けた、しかも寝ないで、ということになります。ゾッとするというよりも想像をはるかに超える恐怖ですよね。
まぁ、過去は文字通り過ぎ去ったものなので取り戻せませんが、時間の大切さを意識する、あるいは、無意識に時間をムダに過ごすことに対する恐怖を意識しはじめると、これまでテレビを見ていた時間帯以外、すなわち、仕事をしている勤務時間においても隙間時間をおろそかにしない、などの効率的な時間の使い方をしている自分に気付きます。「早くお昼にならないかなぁ」とか「早く5時にならないかなぁ」という考えはたまにしか顔を出さず(←出すんかい!)、「(昼休みまで)あと15分あるから、これを片付けちゃおう。そして、午後は有給休暇をとって○○しちゃおうかな」と自分が本当に大切に思うことに時間を費やす「理想のスパイラル」に突入するのです。
わたしたちは、人はみんな死ぬものと頭では分かっていますが、「今日明日の話じゃないよね」と「臭いものにフタ」ならぬ「怖いものにフタ」の原理で「死」というものに向き合うことを避けてしまいがちです。「死」に勇気をもって向き合えば、「死」に向かって過ぎ去っていくこの一瞬一瞬という「今」の大切さに気付くことができ、人生を豊かなものに変えるきっかけとしてくれるかもしれません。先ほど私は「時はカネなり」といいましたが、時間は命そのもの、「タイム イズ ライフ」という表現の方が正しいのは言うまでもないでしょう。
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