かつての私はずいぶんと嫌な上司だったと思う。
「何も言わなかったらそのやり方を認めたことになる」という理由で部下の接客対応だったり、仕事の進め方だったり、時間管理だったり、事細かに指摘しまくっていた。そして自分は誰よりも勉強し仕事の知識を蓄え、スキルを向上させ、「誰よりも仕事ができるオレが言ってるんだからオレにしたがうべきだろ」と言わんばかりに仕事の実力で部下をねじ伏せていた。
…そして、やはりチームはうまく行かなかった。「オレが思うレベルでの仕事ができていないくせにこいつらは何でこんな和気あいあい仕事してるんだ」という不満を部下にぶつけると今になって考えると当たり前だがチームは最悪の雰囲気になってしまう。幸い何をやってもダメ、チーム崩壊とまではいかなかったが、人事異動を機に自分なりに考え、悩み、やり方を変えてみた。
まず、「他人をコントロールしようとしてはいけない」「人は他人に変えられたいとは思わない、自分で変わりたいものだ」「他人に期待しすぎてはいけない」「自分の正義が誰にとっても正義とは限らない、人の数だけ正義がある」ことを学び、次に、部下に対しては「ありがとう」「さすが」「すばらしい」とポジティブな声掛けを口癖にし、承認欲求を満たすよう心がけてみた。部署が違うので仕事内容やメンバーも異なり比較対照は難しいし、辛抱強さも必要だったが、「これで正解かもしれないな」という手ごたえのようなものを感じた。確信を得たとは言わない。“他人をコントロールしようとしない”ことにしたので自分が思うようなチームになっているかは正直分からない。そこに関心を払わないことにしたのだから。
自分のチームがうまくいくと、今度はよそが気になる。自分の後任の仕事のやり方が気に入らないのだ。「なんで自分の時に工夫してやってたやり方継続してやらないの?」とか「絶対こうした方がいいのに気が付かないかなぁ」とか「今はこっちに時間かけるよりこっちに最大限集中すべきだろ」みたいなもどかしさというか不満が湧き上がってくる。口出しできる立場でもないので傍観者にならざるを得ないが、「オレをいらつかせようとわざとやってんの?」とまで思ってしまう。
すると今度は異動で交代になった上司への不満が湧き上がる。「前の上司はここに気付いてくれてたのになぁ」とか「前の上司はこのくらい自分でやってたのになぁ」とかとか、まぁよくもそこまでほじくるかと我ながら思うくらいに、上司には厳しい目を注いでしまう。異動したてなんだからしょうがいないよね、と分かっていても止められないのである。
そんなこんなしていると、ふとした発見があった。“腹立つ前任者”のことであまりイライラしなくなっている自分がいることに気が付いたのである。これはいい意味とわるい意味の両方で私自身にショックを与えた。“前任者”のやることなすことに腹を立てていたのは、そいつのせいではなくて、私の考え方・捉え方のせいだったということ、ということは自分の思考ひとつで変えることができるんだ、というショック、そしてもうひとつは、自分は、非難する(実際には心の中で非難するだけなのだが)攻撃対象を絶えず探し求める、他人を否定することで自分の優位性を確認し、自分の存在理由を正当化するために他人を引きずり下ろしたがっている、闇の深い存在なのではないか、というショックである。
自分は立派でありたい、成長したい、“あなたはあなたの周囲にいる5人の平均である”と言われているからこんな人とは関わり合いにならず距離を置こう、と思ってもその“こんな人”は私が作り上げた虚像であるとするならば、そして“こんな人たち”と人間関係の断捨離をしたところで、あらたな関係性のなかでも“おとしめ、否定する”対象を探してしまう自分がいるならば、と思うと自分自身の底知れない闇の深さにゾッとしてしまう。
じゃあどうすればいいの?という問いへの答えは今後にお譲りすることにして、今回はオカルトネタで酷暑にひとときの涼しさを提供しようとした次第でした。…失敗かな(笑)
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