ジャイアン理論は半分は正解である!?

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 みなさんご存じの国民的アニメ「ドラえもん」は、おなじみのジャイアンが、その口癖「オレのものはオレのもの。お前のものもオレのもんだ!」を座右の銘とでもいわんばかりに言い放ち、のび太やスネ夫のおもちゃやなんかを巻き上げる場面からストーリーが展開するお約束となっていますが、この「ジャイアン理論」を分析すると、2つの要素から構成されていることが分かります。

① オレのものはオレのもの

② お前のものもオレのもの

 何を仰々しく、と思われるでしょうが、冒頭にもあるようにこのうち半分は正解、すなわち①と②のどちらかは正解、だとすればみなさんはどちらだと思いますか?

 当然「①オレのものはオレのもの」が正解だろう、当たり前じゃん、となるところでしょうが、私がふと思ったのは「②お前のものもオレのもの」の方が正解というか、②の方のみ、すなわち「お前のもの()オレのもの」をあらゆる物事を捉える前提とすれば、世界はいっぺんに幸せに満ちたものになる、その秘訣がジャイアン理論の②の方に隠されているのではないか、ということでした。

 分かりやすくかみくだいて言うと、わたしたちはどうしても自分の所有する財産や富を増やしたい!もっと欲しい!まだまだ足りない!と思います。すると当然ながら自分の財産や富を他人に分け与えるなんてとんでもない、というふうになります。

 でも「お前のものはオレのもの」と考えれば、ここでいう「お前」…すなわちのび太やスネ夫や身の周りの人の財産や富が増えることが嬉しくならないでしょうか?さらに私は先ほど「財産や富」とさらっといっしょくたにしてしまいましたが、ここでゆう「財産や富」にはおカネなどの資産以外にも人生を幸せにしてくれるもの…(趣味や家族団らん、忙しい中でもほっと一息する)自由な時間、心地よい環境(良好な人間関係)、自分を成長させてくれる情報や経験…などありとあらゆるものを含んでいると考えます。

 なぜ富にこうしたありとあらゆるものが含まれているかというと、わたしたちは富を手に入れるために生きているのではなく、人生を幸せなものとするための手段として富を必要としているのであって、職場の同僚や上司、家族や友人、お隣さんが些細な事にイライラせず、悩みに苦しまず余裕をもって穏やかに過ごし、成長し続ける存在であれば、それは幸せの一要素であり、そうした幸せに結びつくありとあらゆる事柄が「富である」ということができるからです。

 ということは、富にはおカネ以外にも時間や環境、経験や情報といったものも含まれるとすれば、こうした富に満たされた存在に囲まれれば、当然自分も幸せになれる、すなわち「お前のもの(=他人の富)がオレのもの(=自分の富)」であることに合点がいくのではないでしょうか。なにもお小遣いやおもちゃをジャイアンに渡せというのではなく、例えば、仕事で失敗をして凹んでいる部下に「次に改善して成功につなげればいいじゃん」と励ましたり、大量のタスクを抱え頭をいためている同僚に事務処理のコツをアドバイスしてあげたり、喧嘩しているお父さん、お母さんが仲良くできるようサプライズのパーティーを企画したり…などなど、他人の富を増やすことで自分の富の増幅にも直結する事柄もあるでしょうし(この場合は良好な職場環境や家族関係という富を自分も享受することができます)、直接自分の富を増やすことにつながらないまでも、他人の富が増えることに嬉しさを見出すことができる人は、めぐりめぐって他人からも応援される存在になっていきます

 すると…「オレのものはオレのもの」のマインドだと、自分が現に所有している資産以上の富は見当たらないことになりますが、「お前のものはオレのもの」のマインドだと富を「所有」する境界線がなくなるため、富からもたらされる幸せを他人の分も含めて無尽蔵に享受できる計算になります。そして…助けた亀に竜宮城に連れて行ってもらえるように、例えば、たまたま親身に相談に乗ってあげたり、親切にしてあげた人がたまたま億万長者でその人に自分が夢見ていた独立起業の後押しのための出資をしてもらえたりする、といった「御縁」も舞い込んでくる、という話は容易に想像できるところです。

 いかがでしたでしょうか。「お前のものはオレのもの」のマインドで他人の富を増やすことに歓びを見出すことのメリットについてお話させていただきましたが、注意点をひとつ。

 それは、他人の富を増やすための行動を、決して「自己犠牲」として行わないことです。先ほどの「竜宮城的」見返りはおまけみたいなものであって、それを狙っての行為は、「助けてやったのにどこにも連れて行ってくんねえのかよ」という「責め心」を生み出し、そこには「オレのものはオレのもの」的感覚が残っており、他人の幸せに歓びを見出すのとは真逆になってしまいます。まずは「あなたが(みんなが)幸せだと私も幸せ」というまずは自分が満たされている境地、自分の富と他人の富の境界をなくす感覚が必要となりますので、ジャイアンを思い出すときは、テレビアニメのジャイアンではなくて、劇場版のときの「いつもいじめっ子だけど映画のときは正義感満載で、そのギャップがたまらない」ジャイアンをイメージしましょう(笑)。

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