私のトトさま(=父)が亡くなったときのことですが、葬儀の手配はもちろんのこと、そのあとの手続がそれはもうたいへんで、遠方への香典返し、未支給年金の請求から、土地建物の相続登記、銀行口座の相続、口座引き落としなど各種名義変更等々、よくもまぁこんなにタスクをこなせたなぁと自分自身を振り返って感心したりしたものでした。
ほとんどの手続がそうなのですが、戸籍の請求だったり、葬祭料の請求だったり、登記申請だったり、未支給年金の請求だったり、申し込んでから結果がでるまではそれなりのタイムラグがあって、「とりあえず今日できることはなんだろう」と考えて毎日のように手続をこなしていると、忘れかけたころに最初の方に処理したものの結果(登記が完了したとか、葬祭料が振込みになったとか)が届く、といった日が続きました。
ここでの気づきなんですが、「タイムラグがあるとうれしい、忘れているともっとうれしい」ということです。当たり前ですが先方の処理もありますのでその日のうちに手続が完了することは基本ないんですが、タスクをこなしたその日に「今日の成果はゼロか…」なんて思うことはありませんでしたし、「あの処理はうまく進んでいるだろうか」と心配するヒマもありませんでしたので、成果が届く日はまるっとトクした気分になるのです。
おっと、タイトルを回収するためには、ガネーシャという象の神様が登場する「夢をかなえるゾウ」という本を紹介しなくてはいけません。この物語の中ではガネーシャは人々に教えをさずけるために人間界に姿を見せるとき、大好物の「あんみつ」の存在を「忘れる」という作業をするそうで、それは、はじめて「あんみつ」と出会って、あんみつを食べたときの感動を再び味わいたいから、だそうです。「いったん忘れる」ことの効用がこの本でも語られているわけです。
(私の経験があてはまるかどうかという意味で)極端な解釈かもしれませんが、今目の前のできること、すべきことに集中して全力投球すれば、それが将来への種まきになって将来大きな実りをもたらすので、やはり「イマココ」を生きることが大切だということですね。加えて、この「イマココ最強説」をより実感するためには、成果を気にしたり、追い求めたりすることは、「イマココ」に居ないことになると気づくこと、「種まき」自体を歓んで実行することが大切だということに気づくことだと思いました。
ガネーシャが人々(物語では特定の主人公になります)に授ける教えは、とてもたくさんあって、実はこの「いったん忘れる」は数あるガネーシャの教えに入っているわけではないので、私のバイブルともいえるこの「神本」の中のガネーシャの教えはまた別の機会に紹介させいただくこととしますが、いつのことになるかお約束はできないので、みなさん「いったん忘れ」てくださるようお願いします。
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