さて今回は、アルフレッド・アドラーという心理学者の思想を対話形式で再現した「嫌われる勇気」をとりあげることとしましたが、これは、私が人事担当者時代に職場の庁内掲示板に「人事担当者コラム」として掲載したものをアレンジした内容となっています。
「嫌われる勇気」と聞いて、「やっぱり!オレは部下に嫌われるのを覚悟で厳しく指導して正解だったんだ」と思った上司の方がいらしゃいますでしょうか。
それ、違います(笑)。
むしろ逆で、アドラーの教えは、わたしたちは、上司におもねったり、上司の顔色をみながら仕事をするな、すなわち、他者から承認されるため、「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない、というものです。これもまた「やっぱり!私は私の自由に好きなようにで仕事をしていいんだ!」と曲解する人もいるかもしれませんので、具体的にアドラーの教えのエッセンスのうちいくつかを見ていきましょう。
1 課題の分離
わたしたちの悩みの大部分は対人関係にあると言われています。4月といえば、人事異動になった方々は新しい仕事を覚えるので一所懸命でしょうが、仕事に馴れて余裕が生まれると周りのことが気になり始めるということはありませんか?もちろん周囲に目を配るというのは大切なことですが、矢印の方向を間違えると「なぜあの人はこれをやってくれないんだろう」とか「こんなにがんばっているのになぜ上司は認めてくれないんだろう」など、上司や部下、同僚、他の課のメンバーに対する不平・不満・愚痴のオンパレードになってしまいます。
アドラー心理学では、対人関係のトラブルなど「思うようにいかないこと」への向き合い方として、「これは誰の課題なのか?」というスタンスを持ち出します。そして自分の課題と他者の課題を分離して、他者の課題には踏み込まない、これで対人関係は激変する、と言っています。例えば「部下に対してどんなアドバイスをするか」「上司レクでの資料の作り込み」は自己の課題ですが、アドバイスによって部下がどう変わるか、レクを上司がどう評価するか、は他者の課題なので気にしない(切り捨てる)ということです。
ここで気を付けていただきたいのは、「課題の分離」を「これは自分の課題じゃないから」と、やるべき仕事をしない言い訳にしないことです。部下なんかアテにしないからアドバイスなんかしない、とか、別に上司に認めてもらいたいわけじゃないから資料は適当でいいや、ということではなく、思うようにいかないことに直面したときの心の矢印の向け方の話ですから、部下が変わってくれない、上司に認めてもらえない、のなら相手を責めるのではなく、別の言い方がなかったのかな、とか、伝えるタイミングがよくなかったのかな、とか、もっと見やすい資料にできる余地はなかったのかな、とか、自分の課題として捉えましょうという話です。「なぜあいつは変ってくれないのか」と考えるより「自分は彼に何をしてあげられたのか」にフォーカスした方が人生を前向きでシンプルなものにできるでしょ、ということです。
2 イマココ
アドラーの「課題の分離」の考え方は、過去や未来さえ自分の課題ではないと切り捨てます。「以前裏切られたあの人を困らせてやろう」とか「子供のころ親から暴力を受けたから自分は人を信じられないんだ」とか「明日の会議で話がまとまらなかったらどうしよう」とか「期限までに仕事が終わらなかったらどうしよう」とか、自分が生まれ育った環境やトラウマ体験に囚われたり、まだ起こってもいないことを気に病むのも、あなたの「今」には関係ないというものです。
すなわち、人生とは「今」という連続する刹那であるから、「今ここ」を真剣に丁寧に生きることが大切というわけです。人生は、登山で山頂を目指すようなものではなく、ダンスを踊るようなものと考えてくださいとアドラーはいいます。登山における目的は「登頂」ですが、ダンスは踊ること自体が目的です。何かを成し遂げる人というのは、「充実した今ここ」の連続を経てふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされるそうです。
わたしたちは、環境や自分の生い立ちなど、「何が与えられているか」について変えることはできませんが、「与えられたものをどう使うか」は自分の力で変えていくことができます。だったら変えることができないもの(他者の課題、過去・将来)に不満を言っても始まらないので、変えられるもの(自分にできること=自己の課題=今ここ)に全力投球する、ということでしょうか。
3 わるいあのひと・かわいそうなわたし
最後に、カウンセラーが用いる「三角柱」の話を紹介します。思い悩んだ人間が訴えるのは、「悪いあの人」「かわいそうなわたし」の結局このいずれかなのだそうです。このふたつが三角柱の3面のうち2面に記載されているわけなのですが、わたしたちがほんとうに語り合うべきことは、最後の1面に隠されているそうです。
それは、「これからどうするか」です。
たしかに「悪いあの人」や「かわいそうなわたし」の話に同調し、「それはつらかったね」とか「あなたは悪くないよ」とか言ってもらえると一時の癒しにはなるのでしょうが、本質の解決にはつながらない。そこで、アドラー心理学では「これからどうするか」を語り合うということです。
いかがだったでしょうか。「課題の分離」は少し理解するのが難しいかもしれませんが、アドラーの教えは人生がシンプルになるヒントといえますので是非実践してみてはいかがでしょうか。特に、たまたま私が「学び始め」のころに出会った「今ここ」にフォーカスするという考え方は、いろんな方の著書を読み進めていくといたるところに同様の考え方が表現されており、「これって世界標準なんじゃね」と思った私は学びの初期段階で「イマココ」に出会えたツキに感謝するとともに、「オレってセンスあるー」と根拠のない自画自賛で浮かれてしまうわけでありました(笑)。
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