「奪う」と「与える」

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 今回ご紹介するのは、講演家である鴨頭嘉人さんのyoutubeからの動画なんですが、これは私が「学び」を意識したきっかけでもある原点ともいえる動画で、当時(3年前くらいでしょうか)私が初めて「係長」として部下を持ち、うまくチームを動かすことに壁を感じていたころに出会ったものです。

 当時の私は「論破された側は論破した側に従うべき」というルールを勝手に周囲にあてはめ、「正論でねじ伏せれば部下は嫌でも動く」と本気で思い込んでいて、口が達者ということもあって、たいがいの場合「自分は常に正しい」と信じ、自分の考えを部下に押し付けていました。(イヤな上司ですよね(笑))

 でもどうしても思うように動いてくれない部下がいたり、逆に不慣れな分野への異動や私の不勉強ゆえ部下に頼らざるを得ない状況から「自分のやり方は間違っていたのかな」と思っていた時期に、まさに出会うべくして巡り会った動画でした。

 この動画は、鴨さん(この動画の視聴以来私は鴨頭さんのチャンネルにドハマりしてまして、知り合いでもないのに熱烈ファン的に「鴨さん」と気安く呼んでしまう無礼をお許し願います(笑))がアパレルのショップ店員の神対応から「相手にプレゼントを渡す」というマインドが、人間関係を心地よいものにすることを教えてくださるもので、私は、この手の具体的な日常の出来事からの気付き、しかも「これしかない“答え”とも言えるポイント」を超絶面白く、超絶分かりやすく話してくれるパターンが大好きです。

 動画では、①相手の関心に関心を寄せ、そして、②相手にプレゼントを渡す、ことの大切さを鴨さんは説いてらっしゃいます。①の相手の関心に関心を寄せることについては、例えば、我が子の成績が思わしくなかったり、ゲームばかりしていることを親が心配する、ということは相手(我が子)に関心は大ありですが「相手の関心に関心を寄せる」ことにはなっていません。この部分は別の機会に深堀りするとして、今回は、②の「相手にプレゼントを渡す」際の注意点について私なりの解釈をお伝えします。それは「相手に見返りを求めず、プレゼントを与えること自体に喜びを見いだすこと」です。ここでは「プレゼントを渡す」とはモノのことではなくて、相手の自己重要感を満たしてあげるようなコトバとでもいっておきましょう。動画でのショップ店員のサカタさんは、鴨さんのファッションへのこだわりを見抜き、鴨さんの自尊心をくすぐりまくったのですが、仮に鴨さんがその日は何も買わなかったとしても「ちっ、あれだけくすぐったのに何も買わねえのかよ」と思ってはいけないということです。サカタさんの神対応が見返りを求めての行為かどうかは分かりませんが、おそらく「自分がこのお客さんだったら、このこだわりポイント誰かに気づいてもらえたら喜ぶだろうなぁ」と相手の立場に立ってあげたからこそ鴨さんの心をわしづかみにしたのだと思います。そう、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、相手の立場に立って相手の喜ぶことを考えて、それを実行したらそれは自分の喜びにもなるという三段論法がキモになるのです。

 相手にプレゼントを渡す際に「見返りを求めない」ということについて補足いたしますと、損得勘定を価値判断の基準にすると、物事がまわらないということです。ここで「後出しじゃんけん」が許されるルールでじゃんけんをすることを想像してみてください。「ジャーンケーン…」そのあと両者固まってしまいます(笑)。

 金は天下の回り物といいますが、お金以外でも「富」や「幸福」につながるもの…たとえば、健康、ゆとり、平穏、円満な家庭、親切、ゆずりあい、励まし、良好な人間関係、やりがいのある仕事、趣味の充実、etc. etc.…の持つ「豊かさ」に価値を見出し、当然のように身近にある「豊かさ」に気付いて、内面を「豊かさ」でジャブジャブのバブル状態にすれば、満たされまくりの内面をおすそ分けすることで、「豊かさ」の好循環が生まれるのではないかと私は思います。

 もちろん、店員のサカタさんからスタートしたプラスのスパイラルはお金というかたちでサカタさんに還元されるかは分からないし、鴨さんから直接お返しが来るとは限りません。自分のもとに循環するまでにタイムラグもあるでしょう。しかしながら、お金にこだわらない「富」や「幸福」の種類の多さに気付き、「豊かさ」のエネルギーの循環をイメージすると、その循環のただなかにすでにいる自分にあっという間に気付けるかもしれませんね。

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